映画論 その1 〜 ハッピーエンドの在り方


映画が好きかと聞かれると、好きだとは答えられない自分がいた。
かといって嫌いというわけでもない。

面白いと思える映画が殆どないので、まだ見ぬ映画に対しても
「どうせ面白くないんじゃないの?」
と思ってしまっている。
いちいちそういう風に説明するのが面倒くさいので、どっちかで答えるなら「嫌い」かなあ。


と昔の日記に書いているのだが、最近徐々に意見は変わりつつある気がする。
要するに自分できちんと探してなかった。
音楽みたいに、自分できちんと探してなかった。
ホントは探せばあるのに、ろくに探しもしないで、自分で作った仕様もないステレオタイプに縛られていたんである。
アホである。

というわけで、ここでは、映画を面白くないと私に思わせている要因のあれこれについて、自分なりに考えたいと思っている。
そうして、どんどん、映画を好きになっていくわけだな。ふふふ。
今回は、その要因の一つ、ハッピーエンドの在り方について考えたい。



基本的には、映画というやつにはストーリーがあり、時間軸が必ずあります。

ハッピーエンドで終わる映画、というのが多々ありますね。
パターンは色々あるだろうけれども、勧善懲悪ものだったり、ラブストーリーだったりに多いでしょうか。
ハッピーエンドで終わる映画、というのは、言い換えれば、
その映画の結末を、ハッピーな場面で終わらせている(切り取っている)映画と言えますね。

恋をして、困難があって、乗り越えて、結ばれる。
めでたしめでたし。

でもそれってどうなんでしょう。
ホントにめでたいですか?
その映画の中にある世界にもちゃんと時間軸があって、時間が流れていて、
その世界自体は映画で切り取られた部分だけでなく、その後もずっと続いているはずです。

悪者が現れて、ピンチになって、乗り越えて、平和が戻る。
めでたしめでたし。

平和が戻るところで切り取って、それでホントにめでたいんですかね?
それで、この映画ホントに良かったー、って思えます?
それって都合良すぎるというか、映画を観る側も、映画を作る側も、
見て見ぬふりをしているということではないですかね。

何を?
本質を、です。

結局言いたいことは何だったんだ、ということになりませんかね。
愛とは素晴らしいものだ、と言いたいからといってハッピーエンドで終わる必要はないし、
平和こそ素晴らしいと言いたいなら、それこそ本質から目を背けるべきではない。

そんな上っ面な切り取り方の中に本当の感動や本質はないのでは?

つまり、これが私がハッピーエンドをよく思わない理由です。
ハリウッド映画に多いと思いませんか?



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